緑豊かな愛知芸大のキャンパスを活かしていこう会


    この会は、第8回愛知県立芸術大学施設整備ビジョン検討会2010年12月17日が開かれ、同検討会の委員であった奥村昭雄が検討会から「離れる」という宣言をした日に生まれました。会と言っても会員・会費・会則などが決まっているものではありません。この問題に関心を持ち、意見を持ち、そしてなんらかの行動をする仲間のかたまりです。今は少人数ですが、思いがあって行動する中でどんどん増えていきます。よく考えて、どうしたらよいかという意見を出し合うことが大切です。黙っていてはだめです。たくさんの人の思いが世論をたかめてゆき、よい結果に結びつくことが理想です。
    愛知芸大の建て替え問題の経緯について概要をお知らせします。
    実は2004年から建て替えの機運があったようです。キャンパスは1966年開校の第一期工事で大部分が出来、陶芸科新設と学生数の増加による1986~1991年の第二期工事を経て、現在まで45年の年齢を重ねてきましたが、メンテナンスが確実にされておらず、それを理由に「もう限度だ」「建て替えるしかない」となったようです。それには膨大な費用がかかりますから、県はなんとかして「修繕・改修・増築」などの手法で「直して使い続ける」という方針を立て、2005年2006年にはそのための計画をしていました。そこに法人化という体制の変化が起こり、「改修」から「改築」へと言葉を変更し、県も改築を認め、法人の言うとおりに無期限で対応することにしたのです。現在、前述の検討会でも「壊すなどとは一言も言ってない」「全体計画は無いが緊急に新音楽部棟だけを建てるのだ」と言っていますが、計画の筋道をよく見ると、今回の「緊急の新音楽部棟」がスイッチになって順々に建て替えざるを得ないようになっており、ここを乗り越えれば全面建て替えの方向が確立するというものであります。
    2010年7月11日から本年3月24日までの12回にわたる「検討会」は、7月15日の第2回のときに「新音楽部棟」の設計図が提出され、その日に「これで承認していただけますね」と座長が締め括ろうとする強引な運びで、第7回まで毎回奥村が提出した意見書は、コピーして配られるだけで「検討」されず、「もう決まっていることなので、ここで話し合ったことによって別のことが決まるというものではない」という意味の発言までありました。これはおかしい。今からでも遅くない。愛知県の行政上も、大学の体制そのものも、学生が通う教育の場としても、根幹を揺るがす多くの疑惑が露呈されてしまったこのビジョン検討会なるものから早く離れて、自由にものが言える広場に出たいと思い、第8回に提出した意見書において離脱の宣言をしました。
   そして開いたのがこの広場です。資料も出してゆきます。ご意見をどんどんお寄せください。ブログの運営の仕方についてもご意見をお聞かせください。よろしくお願いします。

         2010年12月17日

                                       緑豊かな愛知芸大のキャンパスを活かしていこう会

                                                  代表  近藤高史

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